中華民族にとって貴重な文化遺産の一つが「唐诗」(tángshī 唐時代の詩歌)です。
それまでも発展してきた中国詩歌が唐時代に一気に花開き、しかもこの時代に既に成熟と完成の域に達したとまで評されています。一体どういうことなのでしょうか?
唐詩入門:流派別に学ぶ唐時代の詩人とその作品
目次
唐時代の詩人たち
289年続いた唐時代に活躍し、名前を知られている詩人は約2300人もいます。しかも彼らは五万首に迫る数の作品を残しています。
これは唐時代までの約1600年間に作られ、現存している詩歌の総数の3倍近くになりますが、あくまでも記録が残っているものだけなので、実際はもっと多くの作品が作られたことでしょう。
この中には独特の個性を放ったとりわけ有名な詩人が60人近くいます。中でも代表格は「李白」(Lǐ Bái)、「杜甫」(DùFǔ)、「白居易」(BáiJūyì)、「王维」(WángWéi)、「孟浩然」(MèngHàorán)などでしょう。
唐時代はまさしく中国文学の詩歌が花開いた黄金時代でした。
唐時代に詩歌が発展したのはなぜ?
唐時代に詩歌が発展したのにはいくつかの理由があります。
まず、中国の歴史の中でこの時期は大いに繁栄し、文化が発展した時代でした。遣唐使を派遣していた日本を含め300を超える諸外国が朝貢するほど「唐朝」(Tángcháo 唐王朝)は先進的な文明を有していたのです。
また唐王朝は強い国力と統治力に自信があったため、国家を称賛する内容以外は排除するといった狭い見方の政策は取りませんでした。むしろ文人に自由な発言の機会を与えました。
この国力の強さは経済的な繁栄をもたらしましたから、社会全体の生活水準が向上しました。それで庶民に至るまで、比較的自由で開放的な思想を持てるようになりました。
また科挙では詩歌を重視する試験傾向が採用されました。それにより過去の文学や詩歌を基礎としつつも、新しい詩歌の形式を発展させていく気風が文人の中に生まれました。こうして文化芸術が発展しやすい風潮が育まれたのです。
唐诗の形式
唐诗の「古体诗」(gǔtǐshī 古詩)には主に「五言」(wǔyán 五言)と「七言」(qīyán 七言)があります。これは韻を踏むだけで平仄(ひょうそく:詩文を作る時に配慮される漢字の声調の二分類)や句数に制限がありません。
「近体诗」(jìntǐshī 近体詩)には「绝句」(juéjù 絶句)と「律诗」(lǜshī 律詩)があり、4句もしくは8句に平仄を合わせた詩形になっています。それで唐诗の基本形式は主に以下の6種類になります。
「五言古诗」(wǔyángǔshī)-1句5字でなる詩形
「七言古诗」(qīyángǔshī)-1句7字でなる詩形
「五言绝句」(wǔyánjuéjù)-1句5字の句が4句からなる20語の最も短い詩形
「七言绝句」(qīyánjuéjù)-1句7字の句が4句からなる28語の詩形
「五言律诗」(wǔyánlǜshī)-1句5字の句が8句からなる40語の詩形
「七言律诗」(qīyánlǜshī)-1句7字の句が8句からなる56語の詩形
有名な詩人たちの流派
唐诗は様々な流派に分かれていますが、ここでは主な流派ごとに有名な詩人たちと代表作品をご紹介します。
山水田园诗派(shānshuǐ tiányuánshīpài)
これは田舎での暮らしや山水の風景を扱った詩です。この派の詩人たちは多くが画家でもあり、詩に絵も加えて書いた作品が多く残っています。
王维-山居秋暝(shānjūqiūmíng)
孟浩然-过故人庄(guò gùrénzhuāng)
边塞诗派(biānsàishīpài)
辺境の地での戦争やその地の風土、兵士が故郷を思う心情などを詠っています。
高适(GāoShì)-燕歌行(yāngēxíng)
李益(LǐYì)-从军北征(cóngjūnběizhēng)
浪漫诗派(làngmànshīpài)
自分の心情、個人の価値観や願い、渇望を自由かつ奔放に、想像力豊かに歌い上げ発露したロマン主義の詩歌です。
李白-月下独酌(yuèxià dúzhuó)
现实诗派(xiànshí shīpài)
現実派の詩。望み通りにいかない社会の現実を憂い、その思いを写実的に表しています。
杜甫-三吏(sānlì)
まとめ
唐诗をそのまま中国語で読むと、詩人たちがどういうリズム感や意味を持たせて作ったのかを実感できます。きっと学生時代に古文の授業で漢詩を学んだのとは全然違うと感じるでしょう。ぜひ試してみてください。