毛沢東の人生と信念:均富論から学ぶ中国の歴史と文化

    1. 中国経済・社会

    名前は知っているけどどんな人か知らない。しかしその人が今まで取り組んできたことを見ていくと、どんな信念を持っていた人なのかが見えてきます。

    今回はもっとも有名な中国人、毛沢東の人生から彼の信念を考察したいと思います。

    毛沢東の人生と信念:均富論から学ぶ中国の歴史と文化

    毛沢東とは?

    毛沢東(毛泽东:máozédōng)は言わずと知れた、中国では崇拝の対象ともなっている人です。中国紙幣の全ての肖像が毛沢東であることからも明らかでしょう。

    彼は今の中国、つまり中華人民共和国の創設者です。日本と中国が戦争していた時、先頭に立って日本軍に抵抗した人でもあります。ではそれ以外の彼の人生や考え方をご存知ですか?

    彼は中華人民共和国を設立後、たくさんの改革を実行しました。もちろん人がやることですから成功したこともあれば失敗したこともあります。しかし彼が行ってきたことは、成功も失敗も含めて首尾一貫しているのです。

    彼が取り組んできたことを通して、彼の考え方の良い部分を学んでみましょう。

    中国のコインの山の木の隣に立つミニチュアの人々。

    毛沢東の理念

    彼が必死になって唱えてきた考え方は次のようなものです。

    jūnfùlùn

    均富论

    均富論

    漢字を見てわかる通り、これはすべての国民が均等に富を得るという考え方です。毛沢東は農村の人が貧しくて苦しんでおり、一部の権力者が富を牛耳っている状態をどうにかしたいと思っていました。

    そこで共産党の基本理念である、皆が協力しあい、国家としての一つの大きな仕事の中での自分の役割を果たし、その対価としてすべての国民が富を得る社会を実現したいと思ったのです。

    そのうちの 1 つは、木の棒を持っています。

    すべての人が同じ富を得るために行なったこと

    毛沢東は中華人民共和国を設立してまず行ったのは、貧しい農村の人にもある程度の仕事が回るようにすることです。内陸都市や農村地区などにも工場を建設するなどして、できるだけすべての地区の人が仕事にありつける社会を目指しました。

    若い時の毛沢東も実は同じ人生スタイルでした。これはあくまで中国人側に立った意見にすぎませんが、毛沢東にとって戦争当時は日本軍こそが権力を牛耳っている倒すべき相手だったのです。貧しい中国国民が自由を得るためにという思いで彼は戦いました。

    以前の記事でも触れた「文化大革命」も、彼の信念を表していたものであることが分かります。文化大革命の考え方は権力を持っている人が正しいとは限らないので、反抗しようというものです。

    毛沢東は信念のもとに行動しましたが、残念ながら革命の結果は、中国の経済発展が全く止まってしまうというものでした。

    中国に否定された均富論

    すべての人が平等という理想の世界を目指しましたが、うまくいきませんでした。

    結局近代中国は鄧小平(邓小平: dèngxiǎopíng)の先富論を選んだのです。これは「一部の人が先にお金持ちになってしまえば、やがては国民全体がお金持ちになる」というものです。

    おそらく「国民の平等」に人生を注いできた毛沢東はこの考え方が嫌いだったでしょう。

    良い理念でも実現するのは難しい

    毛沢東は中国の経済発展を止めてしまう失敗をしましたが、それでも中国国民は平等を説き、それを実践するために力を注いだ彼を英雄としてたたえ続けています。うまくいかなかったけど彼の理念は正しいと思っているのでしょう。

    そう、良い理念であっても人間社会の中で実現させるのは難しいのです。

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