逆さまの美学!中国書道の奇跡「反左书」の世界

    1. 中国歴史・民族

    中国書道の美しさの魅力の一つは数ある書法や書体ですね。ところが中には邪道、雑技とみなされた書法があります。その一つが「反左书」です。

    左手で鏡に映ったような逆さまの字を書き、その紙を裏から見ると正面から書いたように字が映し出される書体です。

    逆さまの美学!中国書道の奇跡「反左书」の世界

    数少ない反左书の痕跡

    左手反书」(zuǒshǒufǎnshū 左手反書)は文献では「反左书」(fǎnzuǒshū 反左書)と称され、またの呼び名を「镜子书法」(jìngzishūfǎ 鏡書法)ともいいます。

    反左书についての記録はあまり多くありませんが「论书」(lùnshū 論書)という書物に記載があります。

    南朝梁時代、「大同」(dàtóng 大同という年号:西暦535-546年)の期間に東宮殿で仕え、「草书」(cǎoshū 草書)に大変秀でていたとされる「孔敬通」(KǒngJìngtōng)によって反左书が創始されたと書かれています。

    とはいえ孔敬通が書いた反左书の書が残っているわけではありません。

    一つの握手の手は白い表面の上にある。

    謎だらけの始まり

    南朝梁時代に作られた反左书の石柱が現在の南京市付近に残っています。

    一つは南朝梁王朝を創建した武帝の父親「萧顺之」(XiāoShùnzhī)の陵墓へ通じる道の東側にある石柱。もう一つは武帝の「堂弟」(tángdì いとこ)「萧景」(XiāoJǐng)の陵墓へ通じる道の西側にある石柱です。

    このように文字の刻印がある石柱の多くにはたいてい書家の銘があるのですが、これら二点の石柱にはそれがありません。それで誰の書なのかがわからないのです。

    さらに二人がそれぞれ埋葬されたのは孔敬通反左书を創始したといわれる大同年間より前のことです。しかも埋葬からそれほど時を置かずにこれらの石柱が建てられたようです。

    そうすると孔敬通の時代より前に反左书は既に完成していて、石柱に文字を彫るほどに発展していたことになります。

    では一体だれが、いつ反左书を創始したのでしょうか?その始まりは結局いまだに謎なのです。

    新しい書法への橋渡し

    南朝梁を含む南北朝時代は文化、芸術が大きく発展した時代で、中国書道の気風も大変自由でおおらかでした。

    書体の分野では漢時代の「隶书」(lìshū 隷書)を受け継ぎ、唐時代に完成する「楷书」(kǎishū 楷書)への橋渡しの時代だったのです。

    Zàizhègeshíqī de shūfǎjiā,chōngfènfāhuīcáinéng,jìchéng le qiándàishūfǎ de yōuliángchuántǒng,

    在这个时期的书法家,充分发挥才能,继承了前代书法的优良传统,

    gǎnyú dǎpòchuántǒng de zìtǐ,chuàngzào le wúkuìyúqiánrén de yōuxiùzuòpǐn,

    敢于打破传统的字体,创造了无愧于前人的优秀作品,

    cóng’érfāmíngchūgèzhǒngshūtǐ,fǎnzuǒshūjiùshìqízhōngzhīyī。

    从而发明出各种书体,反左书就是其中之一。

    この時代の書家たちはその才能を余すところなく発揮しました。前王朝の書道の素晴らしい伝統を受け継ぎつつも、思い切って伝統的な文字を打ち破り、前人の優秀な作品に恥じないものを創造しようとしたのです。

    こうして様々な書体が発明されましたが、反左书はその中の一つでした。

    中国の人が紙に書道を書いています。

    突然の幕切れ

    反左书は印章にヒントを得て発明されたようです。その特徴は、左手で字を右から左に書き、書き終わった後に裏返して正しい文字が読めるという二点にありましたが、意外にもこれが反左书の発展を阻むことになりました。

    なぜなら左手で逆に書くのは大変難しいですし、鏡のように書かなければならないので書家が自由に書こうとする所作を制限してしまったのです。

    Bùjiǔfǎnzuǒshūjiùchéng le Zhōngguóshūfǎshǐshàng de juéxiǎng,

    不久反左书就成了中国书法史上的绝响,

    shì yīnwèitángcháo de shūfǎpīpíngjiāháobùkèqi de pīpíngzhèzhǒngshūtǐshì:

    是因为唐朝的书法批评家毫不客气地批评这种书体是:

    “shūfǎ wàidào,hànmò zhī è”。

    “书法外道,翰墨之厄”。

    それほど時を経ずして反左书は中国の書道史上から途絶えてしまった。なぜなら唐王朝の書道の批評家が一切の遠慮なくこの書体を「書道の異端、翰墨の厄」と評したからだった。

    見直され始めた反左书の価値

    雑技に過ぎず、正式な書法としては認められないと烙印を押され書道界から姿を消した反左书ですが、それでも現代に至るまで愛され続けてきました。

    近年では地方都市の無形文化遺産に登録されたり、市民のカルチャー体験の学習カリキュラムに取り入れられたりしています。

    また時折放送される、特殊技能を持つ達人紹介のTV番組でも反左书をこよなく愛する書家が紹介されて人気を博すようになってきました。愛好者は確実に増えているようですね。

    まとめ

    反左书の専門家によると、まず字を書く筋肉の動きや力の入れ具合を右手でしっかりマスターし、それを左手にも覚えさせるのだそうです。

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