唐時代の偉大な詩人李白が多大な影響を受けたとされるのが紀元前4世紀の屈原です。屈原は政治家ですが偉大な詩人でもあり、中国最古のロマン主義文学を確立し「骚体诗」を創作した人です。
では中国詩歌の歴史に屈原はどんな功績を残したのでしょうか?
「屈原と离骚」中国古典詩の奥深さに迫る
目次
逆境が生んだ傑作「离骚 lí sāo」
「屈原」(Qū Yuán)は中国戦国時代、紀元前340年頃に「楚」(Chǔ)の王家の血を引く名家に生まれました。
幼い頃に一般民衆と共に暮らした経験が、民衆思いの政治思想の基礎になったとされ、早くからその才能を評価されて重用されます。
ところが、急速に勢力を拡大していた「秦」(Qín)に立ち向かうためには、身分に関わらず能力のある者を登用し、富国強兵に励み、隣国の「齐」(Qí)と協力すべきだとの屈原の主張は、ほかの貴族からの強烈な反対に遭います。
やがて周囲から讒言されて不遇の身となり、都を追われて度重なる左遷を経験します。
このままでは国が滅びていくのが屈原にはわかります。それで幾度も王に諫言するのですが、それも受け入れてもらえません。
遂に都が「秦」に攻め落とされた知らせを聞き絶望した屈原は、悲しみのあまり「汨罗江」(mì luó jiāng)に身を投げて自殺してしまうのです。
この追放されていた間に執筆したとされるのが「离骚」です。自らは逆境にありながら、それでも滅亡へ向かう祖国を思い、葛藤する屈原の心情が著されています。
中国現代文学の基礎を成した「鲁迅」(Lǔ Xùn)は、1926年に出版した「彷徨」(Pánghuáng)の前書きに「离骚」の詩句を引用していました。「离骚」はそれほどまでに強い影響を後世に残したのですね。
「离骚」の何がすごいの?
中国最古の長編抒情詩
「离骚」の内容は前半と後半に分けられます。
前半では主人公の詩人と現統治者との政治理念の矛盾が書かれています。現実の世界でその矛盾を解決できないのを知り、後半部分では主人公が天界に訴えるさまが描かれます。
しかし、結局は現実の社会での変革が困難であると悟ります。それでも故国への思いを捨てきれない主人公が、殉国するしかないと決意するのが後半のクライマックスです。
「离骚」以前の詩歌は、最長のもので百二十一句、四百八十四字でしたが、「离骚」は何と三百七十二句、二千四百六十九字の長さに及びました。
率直な心情表現
「离骚」には屈原の人生を反映した政治理念、失敗と挫折、喜びと悲しみ、祖国を思う憂いと悩み、苦しみなどの心情表現があふれています。これほどまでに率直に心情を表現したのは「离骚」が初めてでした。
自由な句式
それまでの基本句式「四言体」(sìyántǐ)はどちらかというと単調だったため、屈原が「离骚」で表現しようとした豊かな心情を著す句式としては不向きでした。
それで屈原は画期的で新しい句式「骚体诗」(sāotǐshī)を創作しました。
それは「六言长句」(liùyán chángjù)を基本としながらも、時に「五言体」(wǔyántǐ)、「七言体」(qīyántǐ)、さらには「八言体」(bāyántǐ)を自在に用いています。
そうすることで、詩歌は一層リズミカルになり、作者の感情をより豊かに表現できるようになったのです。
「离骚」を味わってみよう
では「离骚」の中から、いくつかの句を抜粋してみましょう。
Rì yuè hū qí bù yān xī,chūn yǔ qiū qí dài xù。
日 月 忽 其 不 淹 兮,春 与 秋 其 代 序。
Wéi cǎomù zhī língluò xī,kǒng měirén zhī chímù。
惟 草木 之 零落 兮,恐 美人 之 迟暮。
Bù fǔ zhuàng ér qì huì xī,hé bù gǎi hū cǐ dù?
不 抚 壮 而 弃 秽 兮,何 不 改 乎 此 度?
【現代中国語の訳文】
Shíguāng xùnsù shì qù bù néng jiǔliú,sìjì gèng xiāng dàixiè biànhuà yǒu cháng。
时光 迅速 逝 去 不 能 久留,四季 更 相 代谢 变化 有 常。
Wǒ xiǎng dào cǎomù yǐ yóu shèng dào shuāi,kǒngpà zìjǐ shēntǐ zhújiàn shuāilǎo。
我 想 到 草木 已 由 盛 到 衰,恐怕 自己 身体 逐渐 衰老。
Hé bú lìyòng shèng shí yángqì huì zhèng,wèihé hái bù gǎibiàn zhè xiē fǎdù?
何 不 利用 盛 时 扬弃 秽 政,为何 还 不 改变 这 些 法度?
時間は光のようにあっという間に過ぎ去り、長くとどまることがない。四季も次々と入れ替わり常に変化している。私は草木が勢いよく生え出てから枯れるまでを思った。
恐らく自分の体もそうやって徐々に老いていくのだろう。なぜ好機を逃さずに腐敗した政治を捨て去り、この法制度をいまだに改革しないのか?
「汉诗 hàn shī」に影響を与えた「楚辞 chǔcí」
「西汉」(Xī hàn 前漢)末期に中国目録学の祖といわれる「刘向」(Liú Xiàng)が「离骚」を含む全十七篇で成る中国文学史上初のロマン主義詩歌集を編纂しました。
これが「楚辞」です。「楚辞」は本来「楚地的歌辞」(Chǔ dì de gē cí)、つまり現在の長江周辺に位置する「楚国の詩歌」の意味でした。
「楚」地方の方言や文体のリズムは、これより前の時代の「诗经」(Shījīng)と比較すると、より自由で、複雑かつ豊かな感情表現に適していたのです。
その影響は詩歌のみならず、小説、散文、戯曲にまで及びました。後にこの文体は「楚辞体」(chǔcítǐ)や「骚体」(sāotǐ)と呼ばれるようになり、そのあとに続く「汉诗」や唐時代にまで大きな影響を与えました。
まとめ
「离骚」の原文は中国のネット上で公開されていますから、興味がある方は是非一度読んでみてください。
また屈原を主人公にした全78話の長編ドラマが2017年公開の「思美人」(sī měirén)です。かなり脚色されてはいますが、背景を知るために、まずドラマからトライしてみるのもいいかもしれませんね。