中国での留学生活を終えて日本に帰国する前夜、デザインを専攻する中国人の友人が訪ねてきました。何としても持って帰ってほしいお土産があるというのです。
渡された荷物の重いことにビックリ、中を見てさらにビックリ、それは中国天津の泥人形四体でした。
中国天津の泥人形-手仕事の美
泥人形の由来と時代の変遷
中国の考古学者によると新石器時代からずっと中国には「泥塑」(nísù)という泥人形がありました。
前漢、後漢時代には死後の世界観の影響で泥塑は主に副葬品として用いられました。当時の墓からは人、動物、馬車、船などをモチーフに作られた大量の泥塑が発掘されています。
その後、道教や仏教の影響で泥塑は神仏の偶像化に用いられるようになりました。さらに唐時代には優れた技術を持つ多くの職人の手により、完成度のより高い作品が制作されました。
Nísù yìshù fāzhǎn dào Sòng dài,búdàn zōngjiào tícái de dàxíng fóxiàng jìxù fánróng,
泥塑 艺术 发展 到 宋 代,不但 宗教 题材的 大型 佛像 继续 繁荣,
xiǎoxíng nísù wánjù yě fāzhǎn qǐ lai。
小型 泥塑 玩具 也 发展 起 来。
Yǒu xǔduō rén zhuānmén cóngshì nírén zhìzuò,zuòwéi shāngpǐn chūshòu。
有 许多 人 专门 从事 泥人 制作,作为 商品 出售。
泥人形芸術の発展は宋時代になると宗教的テーマの大型仏像が引き続き繁栄しただけでなく、小型玩具としても発展した。商品として売り出すために多くの人々が専門的に泥人形制作に従事した。
名人の登場と広まり
泥塑は粘土に少量の綿花の繊維と水を混ぜて捏ね、形を整えてから陰干しにし、乾燥したものに彩色を施して完成です。泥塑を制作する技術の発展に伴い、名人と呼ばれる人々が現れました。
Bèi yù wéi diāosù shèngshǒu de Yáng Huìzhī jiùshì Táng dài jiéchū de dàibiǎo。
被誉 为 雕塑 圣手 的 杨 惠之 就是 唐 代 杰出 的 代表。
彫塑の名人と誉れ高い杨惠之は唐時代の傑出した代表である。
元時代の彫塑において、極めて優れた作品を残したとされているのが「刘元」(Liú Yuán)です。
科挙に合格し官吏になるほど学識高く、絵画、建築においても優れた才能を発揮しましたが、何よりも秀でていたのが彫塑の制作でした。
人々に愛された泥塑は現在の江蘇省、天津市、陜西省、河北省、山東省、河南省など各地に広まり、やがて清時代に天津在住の「张明山」(Zhāng Míngshān)という名人を生みます。
天津泥人张の創始者-张明山
冒頭で紹介した泥人形は「天津泥人张」(Tiānjīn nírén zhāng)といいます。
テーマは「琴棋书画」(qín qí shū huà)で、清時代の様相をした少年少女二体ずつの計四体がそれぞれ「琴瑟」(qínsè)、「围棋」(wéiqí)、「书法」(shūfǎ)、「绘画」(huìhuà)をしている様をかたどったものです。
「琴棋书画」は文化教養の証しとみなされていたため、今でも大変人気のあるテーマの一つです。
天津泥人张には伝統的・宗教的テーマの作品もありますが、こうした生活に密着したテーマに沿った作品制作をより得意としています。それは天津泥人张の創始者、张明山の制作理念によるところが大きいとされています。
彼は6歳で父親に伴われて天津に着き、8歳で泥塑の制作を開始し、18歳で既に名を馳せるほどの腕前でした。
Zhāng Míngshānxīn líng shǒu qiǎo,fù yú xiǎngxiàng,
张 明山 心 灵 手 巧,富于 想象,
shícháng zài jíshì shàng guānchá gè háng gèyè de rén,
时常 在 集市 上 观察 各 行 各业的 人,
zài xìyuàn lǐ kàn duōzhǒng juésè,tōutōu de zài xiùkǒu lǐ niē zhì。
在 戏院 里 看 多 种 角色,偷偷地 在 袖口 里 捏 制。
Tā niē zhì chū lai de nírén jūrán gègè bīzhān kùsì,
他 捏 制 出 来的 泥人 居然个个 逼真 酷似,
jīngguò shù shí nián de xīnqín nǔlì,yìshēng zhōng chuàngzuò le yí wàn duō jiàn zuòpǐn。
经过 数 十 年 的 辛勤 努力,一生 中 创作 了一 万 多 件 作品。
张明山は賢く、手先が器用で、想像力に富んでいた。しょっちゅう定期市に出かけてはありとあらゆる業種の人々を観察し、劇場ではあらゆる登場人物を見ながら袖口でこっそり粘土を捏ねてかたどっていた。
彼が作りあげた泥人形は何とどれもこれもみな真に迫るほど原物に酷似していた。数十年に及ぶ苦労と努力を経て彼は一万件以上の作品を生涯中に制作した。
天津泥人张は置物として陳列するのに適しており、高さ約10-40cmのものが主流です。
张明山が制作した泥人形の多くは、市井の人々の暮らしをそのまま写し取ったかのような生々しい生命力をもっているのが特徴です。
代表作は「三百六十行」(sān bǎi liù shí háng)ですが、この作品はさまざまな業種の人物を当時の日常生活そのままに、人物の表情、姿、衣服の質感や布地の粗い糸の線まで精緻に描写していました。
こうした泥人形は多くの一般民衆に愛され、やがて人々は親しみを込めて「泥人」に「张明山」の姓を付けて「天津泥人张」と呼ぶようになったのでした。
技術の継承
张明山の技術はその後、子や孫に引き継がれ、現在では六代目が当主となって事業を継承しています。1949年以降、泥人张の技術を保護、継承、発展させるために地方政府も人材育成の政策を取り始めるようになりました。
张明山の制作した泥人张は現存数が少ないのですが、その技術を継承した二代目から六代目までの作品は天津市古文化街にある店舗で見ることができます。
「泥人张世家绘塑老作坊」(nírén zhāng shìjiā huì sù lǎo zuò fáng)内の「天津泥人张美术馆」(Tiānjīn nírén zhāng měishù guǎn)に常時展示されています。入館料は無料なので店舗を訪ねる際に覗いてみるのも面白いですよ。