日本という国はどのようにして始まったのでしょうか?日本人であれば誰でも関心がある事柄です。
もちろん日本がどのように始まったかについては、諸説あり歴史学者でも完璧には分かりませんが、中国でのとある出来事が関係するという説が有力です。
日本の文明は徐福が築いた?始皇帝の命を受けた不老不死の探求
目次
日本の始まりは?
日本国土から、石器や土偶などが出てきていますので、石器時代や縄文時代から人は存在していたことでしょう。しかし国と言われる大々的な支配はいつから始まったのでしょうか?
それは伝説的な初代天皇、神武天皇が突如現れた時とされています。神武天皇にしろ、他の誰かにしろ、どのように日本で文明が始まったのでしょうか?
秦の始皇帝が求めた不老不死の薬
日本人でも知っている中国を最初に統一した人、それは秦の始皇帝(始秦皇:qínshǐhuáng)です。中国全土を手に入れた始皇帝が次にほしくなったのが不老不死です。
皆さんもご存知のとおり、始皇帝は不老長寿の呪術が行なえると言われていた方士の徐福 (xúfú)に「不老不死の薬を探し出せ」という命令を与えました。
秦の始皇帝から大量の金銀財宝と多くの家来を授かった徐福はもう後戻りできません。徐福はどこに行ったのでしょうか?
徐福がたどり着いた場所は?
徐福が目指していたのはどこですか?
péngláixiāndǎo
蓬莱仙岛
中国から向かって東方にある仙人が住むといわれる蓬莱島と多くの文献に書かれています。中国の東方にある島といったら日本しかありませんよね。
彼が日本で文明を築いた可能性
彼が日本で文明を築いたかもしれないとどうして言えるのか?それには3つの理由があります。
xúfúhétā de suícóngrényuányìqǐqù
1,徐福和他的随从人员一起去.
nàshírìběnháiméiyǒuwénmíng
2,那时日本还没有文明.
zàirìběnhěnduōxúfúchuánshuō
3,在日本很多徐福传说.
日本に行ったのは高い文明を持った一団
徐福が日本の基礎を築いた可能性がある最初の理由を考察しましょう。
難しいのは随从人员(suícóngrényuán)という言葉でしょう。これは「従者団」という意味です。一起去(yìqǐqù)は「一緒に行った」という意味です。
つまり、日本に行ったのは徐福だけではありませんでした。一人では文明を起こせなくても、50人前後とも、3000人とも言われる「文明を持った従者団が徐福と一緒に行った」ので、日本に着いて文明を築くことは可能でした。
さらに当時の状況を考えると、彼らは何の収穫もなしに中国に帰ったら殺されるので、日本に留まらなければならなかったのです。
日本には文明はなかった
続いて2つ目の理由です。
那时(nàshí)というのは「その時は」という意味で、还没有(háiméiyǒu)というのは「まだ~ない」という意味になります。
まとめると「当時まだ日本には文明がなかった」ので、徐福たちが日本に来たときに文明が始まった可能性があるということです。
日本中にある徐福伝説
3つ目の理由です。
在日本(zàirìběn)は「日本で」という意味です。很多(hěnduō)は「たくさん」という意味。徐福传说(xúfúchuánshuō)は文字のまま「徐福伝説」という意味です。
つまり、「日本に徐福伝説の言い伝えがある」ことから彼が中国から渡って文明を築いた子孫である可能性があるということです。
ウェキペディアの「徐福」の項目に書かれているように、青森県から鹿児島に至るいたるところで徐福の伝説が残っています。
まとめ
徐福は当時の中国の国内事情から、確かに日本に渡ってきた可能性が高いこと、一人での流刑ではなく、文明を築ける一団とともに日本に渡ってきたと思われます。
そして当時日本には文明がなかったこと、そして不思議なほどに日本中に点在する徐福伝説から、彼が日本の文明発祥の元となった可能性があるようです。
有力証拠がありながら、日本でこの説が取り入れられていないことはなぜでしょうか?
日本人とって、日本という国は日本人自らが築いた文明と信じたいからなのかもしれません。大昔のことなので、歴史家を含め、実際のことはわかりませんが、日本発祥についての有力説であることは間違いないようです。