皇室由来のものから民間のお宝として珍重されているものまで、中国にはさまざまな玉石があります。
価値の高いものだからこそ起こる人間模様や、ビックリさせられる事件も数知れず。今回はその中からいくつかの事件をご紹介しましょう。
驚愕!中国の玉石が語る三つの感動エピソード
小学生が拾った玉石が国宝に?
Kǒng Zhōngliáng huíyì sì shí duō nián qián de shì shuō,
孔 忠良 回忆四 十 多 年 前 的 事 说,
nà shì 1968nián 9yuè de yī ge xiàwǔ,
那是 1968 年 9月 的一个 下午,
dāngshí zhǐyǒu shí sān suì de tāfàng xué huí jiā,
当时 只有 13 岁 的他 放 学 回 家,
zài qú biān fāxiàn yì méi fā guāng de báisè xiǎo shítou,
在渠 边 发现一 枚发 光 的 白色 小 石头,
jiù xiǎo xīn yì yì de zhuāng jìn shūbāo ná huí jiā,
就 小 心 翼翼地 装 进 书包 拿 回 家,
tā fùqin kàn tā hòu shuō zhè shì yì méi yìnzhāng,
他 父亲 看 它后 说 这 是 一 枚 印章,
kěnéng shì wénwù,yào hǎohāo bǎohù,bǎ tā shàngjiāo guójiā。
可能 是 文物,要 好好 保护,把它 上交 国家。
孔忠良は40年余り前の出来事を思い出して言いました。それは1968年9月のある午後のことでした。
当時まだわずか13歳だった彼は学校の帰り道に溝の傍らで白く光る小さな石を見つけ、注意深くカバンに入れて家に持ち帰りました。
彼の父はそれを見るとこれは印章のようだが恐らく文化財だろうから大切に保管して国に引き渡そうと言いました。
研究者や専門家たちはこの石を調べて色めき立ちました。
これは石ではなく玉石で、しかも前漢の劉邦と呂皇后が合葬された土地から西に約1km離れた場所の陵墓を中心とした園林で拾われたものでした。
文献と照らし合わせた結果、高さ2cm、幅2.8cm、重さ33gというサイズ、形、「螭虎」(chī hǔ)という想像上の吉祥動物の彫り込み、
彫りこまれた文字数、文字の内容、彫りの様式、そして何よりも新疆和田産の「羊脂白玉」(yáng zhī báiyù)に彫られたものであること、
これらの条件の完全な一致に基づいて、この玉石は間違いなく呂皇后の玉璽だと認定されたのでした。
Wǒ hé fùqin tīng shuō tā shì zhēnguì wénwù hòu,háo bu yóuyù de shàngjiāo le。
我和 父亲 听 说 它 是 珍贵 文物 后,毫不 犹豫 地 上交 了。
Dāngshí wǒmen méiyǒu rènhé bàochou,
当时 我们 没有 任何 报酬,
bówùguǎn de yí wèi lǐngdǎo zhǐ gěi le wǒ hé fùqin èr shí yuán zuòwéihuí jiā de lùfèi。
博物馆 的一位 领导 只 给 了我和 父亲二 十 元 作为 回 家 的路费。
私と父はそれが貴重な文化財だったと聞いて一切の迷いなく引き渡すことにしました。その時私達は何の謝礼も頂きませんでした。
博物館の責任者の一人が私と父に家へ帰るための旅費として20元をくれただけだったのです。
この皇后の玉璽は現在に至るまで前漢後漢両時期における文化財として発見された物の中で最高等級のものであり、1991年6月以降は陜西歴史博物館に国宝級の扱いで展示されています。
代々伝わる家宝を譲ってしまった?
家に古くから代々伝わる貴重な玉の腕輪を「祖传玉手镯」(zǔ chuányùshǒuzhuó)といいます。いわばその家のお宝ですが、代々後継ぎの嫁へと引き継がれていきます。
ある日テレビドラマを見ていた劉さんは、画面に映った玉手镯を見て「この腕輪より、うちのおばあちゃんが君にあげた腕輪の方がはるかにいいものだね。」と妻に話しかけました。
すると妻は驚くことに「あ、あれ?とっくにうちの叔母にあげたわよ。」と言うではありませんか。
「だって私は普段腕輪をはめないし、価値もよくわからない。それならうちの叔母さんの方が玉石にも詳しいし、大切にしてくれると思ったのよ。」
「だからといって、代々伝わっているものを僕に断りもなくほかの人にあげてしまうなんて!」
これが原因で二人は大ゲンカ。時代と共にお宝に対する価値観も変わりつつあるようです。
弁償して!
祖传玉手镯にまつわるエピソードをもう一つ。有名レストランに招かれた陳さんは食事も終わり、支払いのために友人と階下の受付へ赴きました。
階段を下りた所で、たまたまモップで磨かれたばかりの床に足を滑らせて転び、腰をしたたかに打ってしまいました。
何よりショックだったのは三代にわたり受け継がれてきた玉の腕輪が粉々に割れてしまったことでした。
モップ掛けしたばかりなら床が滑りやすくなっていると注意を喚起するプレートを置くべきではないかと陳さんは怒り心頭でしたが、レストラン側は責任者も姿を現さない始末です。
陳さんは現在弁護士を立て、弁償を求める裁判の係争中です。
【最後に】
玉石はお宝とはいえ、もとは石です。時代が変わっても大切にされる場合もあれば、価値があまりよくわからないという世代の人々も増えているようですね。