共働きが増えてきた日本では、女性も男性と同様に発言力を持つようになってきました。
中国は一昔前から男女平等が推奨されていますが、最近は行き過ぎて女尊男卑ともいえる状況が生じています。とくに女尊男卑が色濃い重慶という都市の状況見ていきましょう。
女尊男卑~中国重慶の妻たち~
目次
重慶ってどんなところ?
重慶は中国内陸の重要都市で、国民党の蒋介石は以前、重慶を首都としていたこともありました。今でも中国重要な都市で1997年に中国の4大直轄都市のひとつになっています。
日本人だけ違う重慶の呼び方
日本人は重慶を「じゅうけい」と呼びますが、そう呼んでいるのは世界的には日本人だけというのを覚えておくとよいでしょう。
他の外国人は中国語読みと同じく、重慶のことを「チョンチン」(重庆:chóngqìng)と呼びます。ちなみに北京のことを日本人は「ぺきん」と呼びますが、日本人以外はすべて「ベイジン」(北京: běijīng)と呼んでいます。アメリカ人などと会話するとき、「I want go to pekin」日本読みしても通じないので注意しましょう。
重慶の女たち
中国で男女平等が広く推奨されるようになった後、女性も男性と同じように労働し、家事分担が徹底されるようになりました。食事の準備と皿洗いは旦那担当という家も少なくありません。
重慶では女性の権威を重視するあまり、少々行き過ぎの状況が見られています。一例を紹介しましょう。
家は妻の名前で契約
結婚後に重慶の購入されるマンションのほとんどは女性名義です。
夫婦になったのなら夫の名前で契約したほうが手続きなど便利ではないのかと日本人は考えますが、中国人が女性名義とするのには理由があります。
どんな理由なのか中国語で説明しましょう。
yīnwèi líhūn hòu jìchéng fángchǎn hěn fāngbiàn
因为离婚后继承房产很方便.
因为(yīnwèi)は「なぜならば~」と意味で、理由を説明するときの前につける接続詞です。离婚后(líhūn hòu)は漢字を見たら想像がつくと思いますが「離婚後」を意味します。
继承(jìchéng)は漢字のまま、「継承する」という動詞で、房产(fángchǎn)は「不動産」という意味です。很方便(hěn fāngbiàn)は「とっても便利」という意味ですよね。
つまり「イザ離婚となったときに、奥さんがスムーズに不動産継承ができるようにするため」事前に不動産を奥さん名義にしておくというわけです。
花嫁料の概念がまだ残っている中国では、マンションを奥さん名義とすることが、離婚したとしても女性側家族に経済的な利得をもたらす手段となっているのでしょう。
権力が増す女性たち
家が妻名義の夫婦は、通常家族の決定権も女性が握ります。「今日どこでご飯食べる?」となったときは通常決定するのはお母さんです。「どこに旅行する?」というときもお母さんが決定します。
よって重慶の男性に「今度食事に一緒にいこう」と聞くと返ってくる返答は…
hǎo de wǒ wèn wèn qīzǐ
好的.我问问妻子.
わかった。ちょっと奥さんに聞いてみる
奥さんの意見を重んじる非常によい傾向のように感じますが、これは欧米の「レディーファースト」の精神とは違います。
どんな精神なのでしょうか?面白い中国語を二つ紹介しましょう。
奥さんをおびえる旦那をあらわす四川の方言
中国人男性は自分で決定せずに、すべて奥さんにお伺いを立てます。それはなぜでしょうか?奥さんのほうに決定権があるためです。四川にはこんな方言があります。
pá ěrduo
耙耳朵
耙(pá)というのはもともとは「熊手」という意味です。熊手で何を引っかけるのかというと、耳朵(ěrduo)つまり「耳」です。
つまり妻たちは「熊手を使うかのように荒々しく夫の耳を引っ張る」様子を表現した言葉です。
重慶の夫たちは奥さんに完全に主導権を握られ、あたかも耳を引っ張られ続けるように生きているのです。
奥さんを恐れる旦那は四川以外にも
女性優位の風潮は四川だけでなく、中国全土に見られる傾向です。近年登場した中国語のひとつに下記のような単語があります。
qīguǎnyán
妻管严
これは气管炎(qìguǎnyán)つまり中国語の「気管支炎」の発音もじって作った造語です。
气管炎(qìguǎnyán)は「妻子(qīzǐ)」「管理(guǎnlǐ)」「严重(yánzhòng)」という三つの単語の頭文字を取った言葉で「妻の管理が厳しすぎる!」という夫たちの嘆きを表す言葉となっています。
本当の男女平等とは?
日本は男性が強すぎて、中国の特に重慶という都市では女性が強すぎ傾向があります。
中国人はこれが男女平等と思っていますが、実際には欧米のジェントルマンのようなしっかりした旦那が、やさしく妻を扱う方式こそが本当の男女平等なのかもしれません。
アジアの国の人たちは両極端にならず習いたいものです。