北京の魅力の一つは七つの世界遺産を有していることかもしれません。実は北京は世界文化遺産が最もたくさんある都市なのです。
留学や旅行のチャンスがあれば、こうした場所にぜひ行ってみたいものですね。今回はこれら世界文化遺産を少しご紹介しましょう。
北京の魅力を満喫!世界遺産と伝統料理の完全ガイド
目次
故宫(Gùgōng)
かつては紫禁城と呼ばれていた皇帝の住まいであり、政治の中心だった場所です。今は博物館として公開されています。
Gùgōng shì Zhōngguó Míng、Qīng lǎingdài èrshisì wèi huángdì de huángjiā gōngdiàn,
故 宫 是 中 国 明、清 两 代 24 位 皇 帝 的 皇 家 宫 殿,
shì Zhōngguó gǔdài gōngtíng jiànzhù zhī jīnghuá,wú yǔ lún bǐ de jiànzhù jiézuò,
是 中 国 古 代 宫 廷 建 筑 之 精 华,无 与 伦 比 的 建 筑 杰 作,
yěshì shìjiè shàng xiàncún guīmó zuì dà、
也 是 世 界 上 现 存 规 模 最 大、
bǎocún zuì wánzhěng de mùzhì jiégòu de gǔ jiànzhù zhī yī。
保 存 最 完 整 的 木 质 结 构 的 古 建 筑 之 一。
故宮は中国明王朝、清王朝の二つの王朝にわたる24人の皇帝の皇室宮殿でした。中国古代宮廷建築の精髄で、比類のない建築の傑作であり、世界中で現存する最大規模、かつ保存の点で最も完全な木造建築の一つです。
天坛(Tiāntán)
古代中国の皇帝は、自らを「天子」(tiānzǐ)と称しました。
彼らは天地に対する非常に強い崇敬の念を抱いていて、紀元前二千年の昔、夏王朝の時代から祭壇を築いて祭祀を執り行う習慣がありました。
天坛は明王朝の第十一代皇帝「嘉靖」(Jiājìng)が西暦1530年に建て始め、1534年に天坛と名付けたのが始まりです。
明王朝と清王朝の皇帝たちは、毎年天に対する祭祀と五穀豊穣の祈願をここで執り行いました。
长城(chángchéng)
北京の延庆(yánqìng)にあるのが有名な「八达岭长城」(bādálíng chángchéng)です。
海抜1,015メートルの高さにあり、明王朝時代には軍事的に重要かつ堅固な関所として、首都北京の重要な障壁の役割を果たしました。
1986年には北京の新名所16か所のうちの一つに定められ、はやくも1987年には世界文化遺産として登録されました。
颐和园(yí hé yuán)
清王朝時代の代表的な「皇家园林」(huángjiā yuánlín)で、東京ドーム約6個分の2.97平方kmの面積を誇ります。
乾隆帝が帝位に就く前から造り始めたもので、当初は「清漪园」(Qīngyīyuán)と呼ばれていました。
面積の四分の三を占める昆明湖(kūnmíng hú)、その人造湖を作る際に出た土砂で作った万寿山(wànshòu shān)があります。
杭州の西湖を青写真に江南園林の設計方法を吸収した山水園林の代表格です。
1860年にイギリスとフランスの連合軍によって焼き払われてしまいましたが、1884年から1895年にかけて、「慈禧太后」(Cíxǐ tàihòu)つまり西太后の別荘として当時の光绪帝が再建し、名前も颐和园としました。
明十三陵(Míng shísān líng)
これは西暦1409年~1645年にかけて建てられた明王朝の13人の皇帝が葬られた御陵です。
天安門広場から約50kmに位置し、東、西、北の三方を山に囲まれた盆地にあります。総面積は120平方km余りですが、これはなんと静岡県伊東市ほどの大きさです。
皇帝以外にも23人の皇后、二人の皇太子、三十余名の妃たちが葬られています。
残念ながら最近、衛生面や設備の質が悪い事、観光客を狙った詐欺行為の横行、ゴミが多い事などの理由で、6か月以内に改善するよう命令されるという事態になっています。
京杭大运河(jīng háng dà yùnhé)
京杭大运河は、南は杭州に起点を置き、北京に至るまで浙江省、江蘇省、山東省、河北省の四つの省をまたいでいます。
そして天津、北京の二つの市に至り、海河(hǎi hé)、黄河(huáng hé)、淮河(huái hé)、长江(cháng jiāng)、钱塘江(qiántáng jiāng)の「五大水系」を貫通する全長約1797kmするほどの大運河なのです。
jīng háng dà yùnhé shǐ jiànyú chūnqiū shíqī,shì shìjiè shàng lǐchéng zuì cháng、
京 杭 大 运 河 始 建 于 春 秋 时 期,是 世 界 上 里 程 最 长、
gōngchéng zuì dà de gǔdài yùnhé,yěshì zuì gǔlǎo de yùnhé zhī yī。
工 程 最 大 的 古 代 运 河,也 是 最 古 老 的 运 河 之 一。
Tā duì Zhōngguó nánběi dìqū zhī jiān de jīngjì、wénhuà fāzhǎn yǔ jiāoliú,
它 对 中 国 南 北 地 区 之 间 的 经 济、文 化 发 展 与 交 流,
tèbié shì duì yánxiàn dìqū gōngnóngyè jīngjì de fāzhǎn qǐ le jùdà zuòyòng。
特 别 是 对 沿 线 地 区 工 农 业 经 济 的 发 展 起 了 巨 大 作 用。
京杭大運河は春秋時代に建設が始まった、世界で最も長く、最大の工事規模の古代運河で、しかも大変古い運河の一つです。この運河は、中国南北地区の経済、文化発展と交流、とりわけ沿線地区の工業・農業経済の発展にきわめて大きな役割を果たしています。
周口店北京人遗址(zhōukǒudiàn běijīng rén yízhǐ)
北京市内から約50kmの房山区周口店龙(龍)骨山にあります。
1929年、古生物学者「裴文中」(Péi Wénzhōng)が、ここで原始人の歯と骨格、そして完全な頭蓋骨を発見しました。いわゆる北京原人の発見された遺跡です。
遺跡地区と博物館の二ヶ所に分かれていて、通年を通して公開しています。
原人が住んでいた洞窟や化石が発見された地点の保存、そこから発見された多数の化石や石器などを展示しています。
【中国の遺跡めぐりをしませんか?】
これらの世界遺産すべてを一度の旅行で訪れるのはなかなか難しいですね。
でも、さすがは中国。古代の歴史の重みを感じさせる遺跡の数々です。ぜひ機会を見つけて、新しい発見をしてみたいものです。
北京は元、明、清の三代から現代に至るまで首都として機能してきた大都市です。
数ある北京の魅力の中でも、北京料理は北京旅行の楽しみだという方も少なくないようです。今回は北京料理についてほんの少しだけ垣間見てみましょう。
北京料理とは
北京料理「京菜(jīng cài)」は「京帮菜」(jīng bāng cài)とも呼ばれます。
中国北方の料理を基礎に各地の料理の特徴を吸収しながら発展してきました。
元王朝はモンゴル族、明王朝は漢族、清王朝は満州族が皇帝として北京から全国を統治しましたが、宮廷で供される料理のために、各地から腕の立つ料理人が招かれ料理の腕を振るいました。
つまり広い全土の美食がここ北京に集まってきたのです。こうして北京の料理は漢民族の料理にモンゴル族や満州族、さらにそれ以外の土地の料理法を吸収していったのです。
北京烤鸭(Běijīng kǎo yā)
北京料理の中で最も特徴的なのは、恐らく北京ダック「北京烤鸭」でしょう。
Wǒ céngjīng tīng shuō guò,chī běijīng kǎo yā bìxū zài héshì de jìjié lǐ,
A: 我 曾 经 听 说 过,吃 北 京 烤 鸭 必 须 在 合 适 的 季 节 里,
jìjié bùhǎo zé yǐngxiǎng kǒuwèi,zhè dàodǐ shì shénme yìsi?
季 节 不 好 则 影 响 口 味,这 到 底 是 什 么 意 思?
私以前に北京ダックはそれに適した季節に食べなくてはならないと聞いたことがあります。季節が適していないと味に影響するそうですが、これは一体どういう意味ですか?
Yìbān lái shuō,dōng、chūn、qiū zhè sān jì chī běijīng kǎo yā qí wèi zuì jiā,
B: 一 般 来 说,冬、春、秋 这 三 季 吃 北 京 烤 鸭 其 味 最 佳,
yuányīn shì dōng chūn èr jì de běijīng yā,ròu zhì féi nèn;
原 因 是 冬 春 二 季 的 北 京 鸭,肉 质 肥 嫩;
qiū tiān tiān gāo qì shuǎng,wēndù hé shīdù dōu tèbié shìyí zhìzuò kǎo yā,
秋 天 天 高 气 爽,温 度 和 湿 度 都 特 别 适 宜 制 作 烤 鸭,
ér cǐ shí de yāzi yě bǐjiào féizhuàng。Xiàjì qìhòu yánrè,kōngqì shīdù jiào gāo,
而 此 时 的 鸭 子 也 比 较 肥 壮。夏 季 气 候 炎 热,空 气 湿 度 较 高,
cǐ shí de yā ròu shǎo biāo bó,zhìliàng jiào chà,kǒuwèi yě xiāngduì jiào chà。
此 时 的 鸭 肉 少 膘 薄,质 量 较 差,口 味 也 相 对 较 差。
一般的に冬、春、秋、この三つの季節に食べる北京ダックが最もおいしいと言われています。というのも、冬と春の北京鴨の肉質はよく肥えていて柔らかいのです。また秋は空高く気候が爽やかで、温度·湿度ともに北京ダックを作るのに特に適しています。しかもこの季節の鴨は比較的肉付きがよく肥えています。夏は気候がひどく暑くなり、空気中の湿度も高く、鴨の肉付きはあまり良くないうえに質も落ち、味もあまり良くありません。
涮羊肉(shuàn yángròu)
涮羊肉とは羊肉のしゃぶしゃぶです。「羊肉火锅」(yángròu huǒguō)とも呼ばれます。
公元907年—1125年に中国北方を支配していた「遼」(辽 Liáo)という国がありました。
古代モンゴル系民族の一つ契丹族(契丹(Qì dān))が統治していましたが、その時代のある墓の壁画に幾人もの人が鍋を囲んで羊肉のしゃぶしゃぶをしている様子が描かれていました。
それほど古い歴史のある料理だという事ですね。
「烤牛肉」(kǎo niúròu)、「烤羊肉」(kǎo yángròu)とともに北方の少数民族の料理の名残といわれています。
【羊肉の効用】
羊の肉は体を温める働きがあるとされているので、とりわけ氷点下にまで気温が下がる冬になると北京の至る所で「涮羊肉」の店がにぎわいます。
「火锅」(huǒguō)を食べる時には、濃厚な胡麻ペーストに「腐乳」(fǔrǔ)と呼ばれる豆腐を発酵させて塩漬けにした調味料を混ぜ、それを水で時間をかけて丁寧に溶いたタレを作ります。
そこに刻んだ「香菜」(xiāngcài)を薬味としてたっぷり入れ、鍋で火を通した具材をそのタレにつけていただきます。
京酱肉丝(jīng jiàng ròu sī)
「东北菜」(dōngběi cài)または「北京菜」(běijīng cài)に属する漢民族の料理です。
豚のヒレ肉を千切りにし、北方地方独特の料理法「酱爆」(jiàng bào)、つまり「黄酱」(huáng jiàng)や「甜面酱」(tián miàn jiàng)で甘辛く味噌炒めにしたものを、長ネギの千切りやキュウリの千切りと共に「饼」(bǐng)という薄い中華クレープに巻いて食べます。
宫保鸡丁(gōng bǎo jī dīng)
漢民族の伝統的な料理で、材料は鶏肉、キュウリ、青ピーマン、落花生、赤唐辛子などです。それらを一口大に切って甘辛い醤油味で炒めています。
本来は山東省の「鲁菜」(Lǔcài)、貴州の「贵州菜」(Guìzhōucài)、四川の「川菜」(Chuāncài)など、各地でその特色を生かした味付けで食されていた料理です。
【清王朝時代の味が現代に】
清王朝の時代になって、四川の総督を務めた「丁宝桢」(Dīng Bǎozhēn)がこの料理を独自に改良しました。
そしてなんと、これがその美味しさゆえに世に広まり、宮廷料理に採用されるまでになりました。
その清廉潔白な官吏としての働きを称賛された丁宝桢は、亡くなって後「太子太保」(tàizǐ tàibǎo)という役職を賜りました。それを記念して料理の名前も「宫保鸡丁」となったのです。
【北京料理を食べてみよう】
ここにあげたのはほんのわずかのレシピですが、実際にはたくさんの北京料理があります。
メニューを見てもなかなかわからないものですが、一つずつ味わっていくのも楽しいかもしれませんね。
歴史の古い中国ですが、実は老舗と呼べる店はそれほど多くはありません。その中で数百年にもわたって商売を続けてきた店は大変貴重です。
北京の魅力の一つは、こうした老舗が集まる街だという事です。
中华老字号
「中华老字号」(Zhōnghuá lǎozìhào)とは、元中華人民共和国国内貿易部という部門によって認定された中国大陸内の老舗企業です。
老舗の条件
認定を得るにはたくさんの条件をクリアしなければなりませんが、絶対条件は1956年以前に創立された店であることです。
さらに中国ならではの独特の技術、商品を伝承し、中華民族の特色と地域文化の特徴、歴史的価値と文化価値を有していることが必要です。
社会的に高い信頼と評価を得ている企業であり、健全な経営状態であることも要求されます。
生活に根付いた老舗たち
1991年に初めてこの認可を得た商店・企業は約1600でしたが、現在では2000余りに上ります。
ところが残念なことに、そのうち正常な経営を継続できているのはわずか30%ほどだそうです。こうした状況の中でも、数百年に及ぶ歴史を誇る老字号があります。
いずれも北京に拠点を置き、古くから人々の生活に関わってきた店です。
北京の老舗店
六必居
(Liù bì jū)
六必居は「酱菜」(jiàngcài)と呼ばれる、この店独特の方法で精製・発酵させた醤油味や味噌味の調味料で漬けた野菜などで世にその名を知らしめました。
とりわけ十二種類の伝統的な商品があり、それらを写真のように大きなつぼに入れて販売しています。スーパーでは瓶詰の商品も販売しています。
「六必居酱园店」は明王朝中葉、嘉靖九年(西暦1530年)に始まったと伝わっています。もとは山西省临汾(línfén)西杜村出身の赵存仁、赵存义、赵存礼という兄弟が始めた小さな店でした。
この店名には歴史ドラマでも登場するほど有名なエピソードがあります。
Liù bì jū yuánlái zhuān mài chái mǐ yóu yán。Chái、mǐ、yóu、yán、jiàng、cù、chá,
六 必 居 原 来 专 卖 柴 米 油 盐。柴、米、油、盐、酱、醋 、茶,
zhè qī jiàn shì dāngshí rénmen rìcháng shēnghuó bì bù kě shǎo de。
这 七 件 是 当 时 人 们 日 常 生 活 必 不 可 少 的。
Zhào shì xiōngdì de xiǎo diànpù,yīnwèi bú mài chá,jiù qǐ míng Liù bì jū。
赵 氏 兄 弟 的 小 店 铺,因 为 不 卖 茶,就 起 名 六 必 居。
六必居は、元はというと薪や米、油、塩などの日用品を専門に販売していた店でした。薪、米、油、塩、醤油、酢、茶、これら七品目は当時人々の日常生活に欠かせないものでした。趙兄弟の小さな店では茶を販売していなかったので、六必居と名付けられました。
後に、「酱菜」がよく売れるのでその専門店となりました。
六必居の店名を金字で大きく書いた額は、当時の皇帝嘉靖に「内阁首辅」(nèigé shǒufǔ「内閣宰相」)として仕えた「严嵩」(Yán Sōng)が書いたものであるとされています。
严嵩は明王朝六大奸臣とされていますが、その書は大変に優れていることで有名でした。やがて六必居の「酱菜」は清王朝時代には宮廷御用達として納められるまでになったのです。
北京同仁堂(Běijīng tóng rén táng)
漢方薬といえばこの店ですね。1669年に創業し、1723年からは皇家御用達となりました。歴代の八人の皇帝に薬を供すること百八十八年、現在まで三百余年にわたり漢方薬を処方してきました。
漢方薬を扱う店は他にも多くありますが、薬剤となる原料の最高級の部分は必ず北京同仁堂が手に入れて漢方薬として精製すると言われています。
北京瑞蚨祥绸布店(Běijīng ruì fú xiáng chóu bù diàn)
1893年創業の絹織物の専門店です。長年にわたり、北京ではやったある歌の中に「身にまとうなら瑞蚨祥」という歌詞があるほど有名です。
「蚨」(fú)とは神話上のセミに似た虫ですが、そのデザインをロゴに取り入れています。絹織物以外にも毛織物、綿織物、革製品、化繊織物、民族衣装の装飾品なども扱っています。
一得阁(yì dé gé)
1865年に創建された墨汁の専門店です。創業者の「谢崧岱」(Xiè Sōngdài)は現在の湖南省出身でした。
北京に来て科挙に臨んだのですが、墨を磨るのに時間をかけすぎて答えを書ききる事ができず、落第してしまいました。
この時、「もし墨汁を作る事ができれば、墨を磨る時間も労力も節約でき、きっと世の中の人の役に立つはずだ」と考えた彼は一念発起し、試行錯誤の末に墨汁を開発することに成功したのでした。
まさに逆転の発想ですね。看板の文字は「谢崧岱」自身の筆によるものです。
一得阁は2006年に「中华老字号」の認可を受けました。この店の墨汁を好んで使う中国の著名な書家や画家たちも少なくないようです。
【北京で老舗めぐりをしよう】
これらの店は老舗としての伝統、歴史を有するだけでなく、その店名の由来、看板の書体と筆跡など様々な特色があります。
また建造物としての店舗そのものが往時の名残を色濃く残しているものもあります。
もちろん、ほかにもたくさんの老舗がありますから、今度北京に行ったときには、こうした老舗巡りをするのも楽しいかもしれませんね。