日本では数字の「一」を「壱」、「二」を「弐」と書く表記を大(だい)字(じ)と言いますね。
中国でも同様に「一」「二」のような表記を「小写」(xiǎo xiě)、「壹」「贰」のような表記を「大写」(dà xiě)と言います。
中国語の数字(一、二)を漢字表記にする
小写と大写
数字を「大写」で書くのは、主として契約・証書類の金額や数字の読み違いや書き直しを防ぐためです。「
小写」と「大写」を併記すると以下のようになります。
小写 大写
一 壹
二 贰
三 叁
四 肆
五 伍
六 陆
七 柒
八 捌
九 玖
十 拾
百 佰
千 仟
万 万
亿 亿
元 圆
「小写」と「大写」の数字の声調はどちらも同じです。「万」「亿」「元」は本来画数がありますから、あえて繁体字にはせず、簡体字の漢字をそのまま用いています。
領収書に「3564 元」と書こうとするなら、「叁仟伍佰陆拾肆圆」と書くことに。
「大写」は唐時代の悪名高い女帝、「武则天」(Wǔzétiān)の頃からあるとされており、ざっと1300年の歴史を有します。
郭桓事件
とはいえ、正式文書に記される数字を「大写」で表記するように定めたのは、明王朝の初代皇帝、「朱元璋」(Zhū Yuánzhāng)です。
西暦1385年に起きた明王朝初期の四大事件の一つ、郭桓事件「郭恒案」(Guó Héng àn)がその発端でした。
この史実は、中国CCTVの人気番組《百家讲坛》(bǎi jiā jiǎng tán)の中で《大明疑案》(dà míng yí’àn)として取り上げられています。
またテレビドラマ《洪武大案》(hóng wǔ dà àn)もこの話を題材にしています。
朱元璋
汚職と戦った皇帝
元王朝末期は暗黒時代とも言われ、役人の汚職、蒙古族の貴族の堕落、政治の腐敗がはびこっていました。
赤字解消のために元王朝は国民に重税を課した上に、大量の新札を発行しましたが、過剰なインフレに天災と黄河の氾濫などが重なり、民は完全に疲弊してしまいました。
その元王朝を倒して、新しい明王朝を設立した朱元璋が取りかかったのが役人の汚職の問題でした。
官僚の横領疑惑
1385年、朱元璋は、正三品でもある「户部侍郎」(hù bù shìláng)の「郭桓」(Guó Héng)を含む複数の高級官僚が、共謀して何らかの不正に関与しているのではないかという疑惑を抱きました。
その件に関して調査を命じた結果、彼らが職権を濫用して総額2400万石以上の公金を着服していたことが明るみになりました。
それは当時、国家に納められた秋の収穫時の税収とほぼ同じ額でした。
多額な不正
当時と現在では米の価格が違いますから一概には言えませんが、ざっと計算するとこれがどれほどの巨額だったかがわかります。(一石=250斤(1斤は500g)とします。)
百度百科によると米は大体1斤あたり3元ですから、一石=250斤=750元となり、1万石=750万元となります。
これをおおよそに換算すると日本円で1万石=750万元=1億5千万円となり、総額2400万石以上という事は約3600億円の横領だったことになります。
不正を防ぐ為に
この公金横領事件が明るみになると、その不正金額があまりに高かったため、世間のただならぬ注目を集めることになりました。
政府は民衆の暴動を恐れ、正式な数字を発表するのをためらい、結果として横領された金額の総額は700万両だったとしか公式発表しませんでした。
朱元璋はこの結果に激怒し、また大いに嘆かわしく思い、高級官僚のみならず、各省の官吏、各地方の富豪に至るまで、不正に関与した者すべてを厳罰に処しました。
それで死刑になった者、獄中で死亡した者の総数は7~8万人を下らなかったと言われています。そして、収穫時の税収の報告で数字を書くに際し、「大写」にするよう定めたのでした。
Dào shāngdiàn mǎi dōngxi,kāi fā piào,wǒmen dōu huì kàn dào dàxiě de Hànyǔ shùzǐ,
A: 到 商 店 买 东 西,开 发 票,我 们 都 会 看 到 大 写 的 汉 语 数 字,
kě nǐ shì bu shì huì xiǎng dào,shùzì dàxiě de dànshēng,
可 你 是 不 是 会 想 到,数 字 大 写 的 诞 生,
jìngrán yuányú zhème yí duàn lìshǐ diǎngù!
竟 然 源 于 这 么 一 段 历 史 典 故 !
店に行って物を買い、領収書を発行してもらえば、私達はいつも大字で書かれた漢数字を目にする事ができますね。でもあなたは数字の大字筆記の始まりにこんな歴史的なエピソードがあったなどとは、よもや想像できなかったかもしれません。
Wǒ rènwéi Hànyǔ shùzì dàxiě quèshí shì zhòngyào de cuòshī,
B: 我 认 为 汉 语 数 字 大 写 确 实 是 重 要 的 措 施,
dǔ zhù le zhàngcè shàng de yí ge lòudòng,suǒyǐ yányòng dào xiànzài,
堵 住 了 账 册 上 的 一 个 漏 洞,所 以 沿 用 到 现 在,
tā yě shì lìshǐ shàng yí ge fǎn tān dà àn de fùchǎnpǐn,zài mǒu zhǒng yìyì shàng,
它 也 是 历 史 上 一 个 反 贪 大 案 的 副 产 品,在 某 种 意 义 上,
yòu shì wǒmen lǎozǔzōng liú gěi wǒmen de yí fèn fǎn fǔbài de yíchǎn,
又 是 我 们 老 祖 宗 留 给 我 们 的 一 份 反 腐 败 的 遗 产,
yí ge yǒngyuǎn de jǐngzhōng。
一 个 永 远 的 警 钟。
漢数字を大字筆記することで帳簿上の手抜かりを防ぐというのは、確かに重要な措置だったと私は思います。それで現在までそれは踏襲されていますね。またそれは歴史的な反汚職大事件の副産物でもあり、ある意味で私達の祖先が残してくれた反腐敗の遺産、永遠の警鐘とも呼べますね。
領収書に書かれた大字数字を眺めながら、このエピソードを思い出し、ふと新聞の見出しに目を向けるといまだに地方役人の不正や汚職を取り上げている…、なんだか複雑な気持ちになりますね。