中国の祖父母による子育て:世代間のギャップとその影響

    1. 中国経済・社会
    祖父母が子育てをするのがすっかり定着している中国ですが、若い親世代とのギャップが広がりつつあるのも否めません。

    子育ては頼まざるを得ないものの、日常生活の常識や習慣に対する認識の違いが問題の種になることもあるようです。

    中国の祖父母による子育て:世代間のギャップとその影響

    共働き夫婦の子育て事情

    多くの若者が村を離れ、街に出て大学へ通い、仕事に就きます。そして幾つもの仕事の経験を積み、結婚し、子供をもうけます。

    男女共働きが一般的ですから、母親が復職するにあたって、子供が幼稚園に上がる前までの世話をしてくれる「保姆」(bǎomǔ)を探します。

    祖父母に頼む子育て

    とはいえ費用もかさみますし、他人では信頼できないという理由で、大抵は祖父母に子育てを頼みます。祖父母は田舎出身の人であることが多いので、わざわざ田舎から町へ出て来てもらいます。

    祖父母が同じ都市の郊外に住んでいて距離的にそれほど遠くないなら、週中は祖父母に子供を預け、週末になると家に連れて帰るという事もあります。

    世代間の摩擦

    いずれにせよ、世代の違いだけでなく、家庭での様々な習慣、清潔さについての感覚、地域的な習慣などの影響が、孫を挟んだ両親と祖父母の間に少なからず摩擦を生む場合があります。

    たとえば子供に着せる服装が最近ネット上で話題になっています。

    右側の写真は「爸妈带」(bà mā dài)、つまり両親が子育てをしている時の服装です。

    ところが子供を祖母に預けたとたんに着せられた服が右側の「奶奶带」(náinai dài)です。預けた子供に会いに行ったところ、なんと右側の服装を着せられている姿を見て両親はびっくりというわけです。

    驚きのニュース

    服装程度のことなら笑い話ですまされるかもしれませんが、年老いた祖父母にとっての常識や感覚が迷信的な場合、大きな問題を招いてしまうこともあります。

    新聞から幾つか驚きの事件を取り上げてみましょう。

    乳児に指輪

    あるおばあさんは、孫の運勢を見てもらったところ「金運」が足りないという事だったので、すぐに自分の指から金の指輪を外し孫の口に放り込みました。

    三か月にしかならない孫は一口で指輪を飲み込んでしまい、命の危険に陥ってしまいました。

    土下座しろ!

    ある日子供が自分の不注意で玄関の扉にぶつかりました。

    子供は泣きながら扉に向かって「この悪い扉め。俺に向かって土下座しろ!」と言います。これは祖母の普段の言いかたの影響です。

    今回は不注意だったけれど、次はちゃんと注意すれば扉にはぶつからずに済むと教えるのではなく、「ぶつかってきた扉が悪い、扉に謝らせよう、警察官を呼んで扉を怒ってもらおう。」というのです。

    皮膚アレルギーの原因

    別のおばあさんは孫が新たに一人増え、それが嬉しくてなりませんでした。それで地域の習慣にのっとって「お金」で子どもの体を洗い始めました。

    その結果、子供は皮膚に重度のアレルギーを起こし、赤く大きなかぶれが生じてしまい、その痛みと痒さで泣き止みません。

    塩を食べさせる

    子供が六か月になった頃、姑が自分の長年の経験から、「塩を食べないと将来、力が出なくなるから。」と言って、孫に塩を強制的に食べさせるようになりました。

    当初私は反対しましたが、経験が豊富だという姑には抵抗できず、食事の度に少しの塩と少量の醤油を食べさせるようになりました。数日もしないうちに子供は突然高熱を発し、脱水症状に陥ったため、私は慌てて子供を救急病院に運びました。

    幸いにも子供は事なきを得ましたが、医師の言うには子供に塩を食べさせるなどもってのほかで、高ナトリウム血症を発症しかねないという事でした。

    真相がわかって以降というもの、わたしは姑の意見を聞く気になれません。

    祖父母に預けるのをためらう夫婦も

    Wǒ rènwéi fùmǔ bù yīnggāi bǎ háizi qīngshuài de jiāo gěi lǎoniánrén zhàogù。

    A: 我 认 为 父 母 不 应 该 把 孩 子 轻 率 地 交 给 老 年 人 照 顾。

    私が思うに、両親は子供を軽率に年老いた親に預けてその世話を頼むべきではないわ。

    Wǒ yě tóngyì。

    B: 我 也 同 意。

    Jiāzhǎng yào kǎolǜ jiā lǐ lǎorén zhēn de shèngrèn jiàoyù háizi de zérèn ma?

    家 长 要 考 虑 家 里 老 人 真 的 胜 任 教 育 孩 子 的 责 任 吗?

    Tāmen de yìxiē jiàoyù lǐniàn hé zuòfǎ,qíshí wǎngwǎng gěi háizi zàochéng wùdǎo,

    他 们 的 一 些 教 育 理 念 和 做 法,其 实 往 往 给 孩 子 造 成 误 导,

    shènzhì jiāng háizi yǐn xiàng le qítú。

    甚 至 将 孩 子 引 向 了 歧 途。

    私もそう思うわ。親は家にいる高齢の祖父母が子供を教育する責任を本当に担えるかどうか十分考えるべきだわ。彼らのそうした教育理念や方法は、結局のところ往々にして子供を誤導することがあるし、場合によっては子供を間違った方向に進ませてしまうこともあるもの。

    こうしたニュースが後を絶たないので、安易に祖父母に子供を預けるべきではない、と主張する人が増えているのが現状です。

    とりわけ衛生面や食習慣の影響を懸念する声がよく聞かれます。こうした世代のギャップが生む問題はしばらく続きそうです。

    中国 未舗装の道路に沿って散歩する男性 1 人と女の子 2 人を含む 3 人の人物。

    中国では現役世代の女性が出産後にふたたび職場復帰するのが普通です。それで実の母親は乳離れする頃まで子供の世話をし、その後は祖父母が子育てをするのが一般的です。

    ところが最近ではこの習慣の是非が盛んに取り上げられるようになっています。

    共働きの中国家庭

    午前中、9時ごろから日が熱くなるまでの間に、ちょうど幼稚園に上がる前の年齢の孫を連れて多くの祖父母が公園や広場にやって来ます。とりわけおばあさんが孫を連れている姿をよく見かけます。

    祖母と祖父

    孫から見て父方のおばあさんは「奶奶」(náinai)、母方のおばあさんは「姥姥」(lǎolao)、父方のおじいさんは「爷爷」(yéye)、母方のおじいさんは北方では「姥爷」(lǎoye)、南方では「外公」(wàigōng)と言います。

    祖父母にとって孫の世話をするのは、退職後の生活の一種の張り合いです。孫を連れてご近所さんと会話をするのが楽しみとなっているお年寄りは少なくありません。

    逆に、実の母親が自分で子育てをしたいと主張すると、孫の世話をするのを心待ちにしていた祖父母との間でケンカの原因になる事さえあるのです。

    祖父母に払う子育て費用

    このところ話題になっているのが、子育てをする祖父母に費用を支払うかどうかという問題です。

    Wǒ xià ge yuè jiù yào zài shàng bān,suǒyǐ qǐng pópo bāng máng dài sūnzi,

    我 下 个 月 就 要 再 上 班,所 以 请 婆 婆 帮 忙 带 孙 子,

    méi xiǎng dào,pópo què jìngrán kāi kǒu suǒyào měiyuè 2000 yuán de dài sūn fèi。

    没 想 到,婆 婆 却 竟 然 开 口 索 要 每 月 2000 元 的 带 孙 费。

    Wǒ gāi zěnme bàn?

    我 该 怎 么 办?

    来月から再び仕事に出なくてはならないので、お姑さんに子供の世話をしてくれるように頼みました。すると思いもよらないことに、なんとお姑さんが月々2000元の孫の世話代を請求するのです。どうすればいいですか?

    夫婦共働きの収入でも毎月ぎりぎりの生活で、だからこそ退職して時間のあるお姑さんに子供の世話をしてもらおうと思ったのに当てが外れたというわけです。

    とはいえ、日本とは年金制度の違う中国では、高齢者自身が生活費を工面しなくてはならないので、双方の言い分にも賛否両論あるようです。

    賛成派

    Dài háizi bùróngyì,jíshǐ zǔfùmǔ yě méiyǒu miǎnfèi dài sūnzi de yìwù。

    带 孩 子 不 容 易,即 使 祖 父 母 也 没 有 免 费 带 孙 子 的 义 务。

    子供の世話は簡単ではない。祖父母だからといってただで孫の世話をする義務はない。

    Zài jiā wùnóng,yìnián shōurù qǐmǎ yǒu jìn wàn yuán,

    在 家 务 农,一 年 收 入 起 码 有 近 万 元,

    ér yídàn dào chénglǐ bāng máng dài háizi,zhèxiē shōurù jiù quán dōu méiyǒu le。

    而 一 旦 到 城 里 帮 忙 带 孩 子,这 些 收 入 就 全 都 没 有 了。

    Zhèxiē shōurù dōu shì yòng lái yǎnglǎo de qián,rúguǒ méiyǒu shōurù láiyuán,

    这 些 收 入 都 是 用 来 养 老 的 钱,如 果 没 有 收 入 来 源,

    wǒ dān xīn yǎnglǎo méiyǒu bǎozhàng。

    我 担 心 养 老 没 有 保 障 。

    家で農業をしていれば一年に少なくとも1万元近い収入がある。ところがひとたび街に出て来て孫の世話をするとなると、いっさいの収入がなくなってしまう。これは自分の老後のためのお金なのに、もし収入が何もないとしたら、老後の保障が何もなくなってしまう、私はそれが心配だ。

    孫の世話を始めた当初は、若夫婦に費用を請求する気などなかった李さんは、時経つうちに「自分の働きが正しく評価されていない、自分はただ働きの保母ではない」と感じ始めました。それで、息子夫婦が自分とその働きを尊重してくれるように願い、改めて費用を請求することにしました。

    【甘やかされた子供の原因にも】

    中には、ただで孫の世話を見るだけでなく、孫の欲しがるものを購入するなどして身銭を切るお年寄りも少なくありません。

    孫が学齢期前の小さい時分ならまだしも、こうした習慣が中高生、はては大学生になっても続いている事例もあります。幼いうちだからといって、孫を甘やかす原因にもなりかねないという意見もあります。

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    反対派

    Wǒ cóng xiǎo jiùshì bèi wàigōng wàipó dài dà de,

    我 从 小 就 是 被 外 公 外 婆 带 大 的,

    tāmen yě cónglái méiyǒu suǒyào guò shénme “dài sūn fèi”。

    他 们 也 从 来 没 有 索 要 过 什 么 “带 孙 费 ”。

    私自身、母方の祖父母に育ててもらいましたが、祖父母はこれまで一度たりとも孫の世話代を請求したことなどありません。

    Huí bào kàn sūnzi de lǎorén bùyídìng yào zhíjiē gěi qián,

    回 报 看 孙 子 的 老 人 不 一 定 要 直 接 给 钱,

    biǎoxiàn zài rìcháng shēnghuó zhōng duō duō guān xīn tāmen,

    表 现 在 日 常 生 活 中 多 多 关 心 他 们,

    ràng tāmen gǎnjué dào zìjǐ de fùchū dé dào le zūnzhòng jiù hǎo。

    让 他 们 感 觉 到 自 己 的 付 出 得 到 了 尊 重 就 好。

    孫の世話をしてくれるお年寄りに必ずしも金銭でお礼をしなくてはならないわけではない。普段の生活の中で彼らにより多くの関心を示し、自分の働きが尊重されていると感じてもらえばよい。

    Zǔfùmǔ kàn sūnzi,zhè qīn qíng shì bù kěyǐ yòng qián lái héngliang de,

    祖 父 母 看 孙 子,这 亲 情 是 不 可 以 用 钱 来 衡 量 的,

    gěi qián jiǎnzhí shì duì qīn qíng de wūrǔ。

    给 钱 简 直 是 对 亲 情 的 污 辱。

    祖父母が孫を育てる肉親の情をお金ではかろうとするのは、この情に対する侮辱以外の何物でもない。

    各家庭の状況、経済状態などはそれぞれ異なりますから、確かにどちらが正しいとは言いかねる問題です。とはいえ、この話題については今後も議論されていくことでしょう。

    全体的に結婚、出産の年齢が早い中国では、ちょうど今1980~1990年代生まれの大部分が子育ての真っ最中です。

    こうした若い世代の夫婦は、子供を実家に預けて共働きをするのですが、その子育ては日本人の感覚とはかなり異なります。

    出稼ぎをする中国人夫婦

    nǐ jiā gū niang jīn nián duō dà?

    A: 你 家 姑 娘 今 年 多 大?

    あなたの娘さん、今年で幾つになるの?

    zhōu qī suì。

    B: 周 七 岁 。

    7歳よ。

    nǐ hé nǐ ài rén dōu lái dào zhèr zuò dǎ gōng,shéi lái kān guǎn hái zi?

    A: 你 和 你 爱 人 都 来 到 这 儿 做 打 工,谁 来 看 管 孩 子?

    あなたもご主人もここに来て働いてるってことは、誰がお子さんを見ているの?

    shì wǒ pó po。

    B: 是 我 婆 婆。

    お姑さんよ。

    xiǎng tā le ba?

    A: 想 她 了 吧?

    娘さんのことを想うでしょ?

    xiǎng。bú guò zuǒ tiān wǒ gěi jiā lǐ dǎ ge diàn huà,tā jìng rán bú rèn wǒ a。

    B: 想。不 过 昨 天 我 给 家 里 打 个 电 话,她 竟 然 不 认 我 啊。

    もちろんよ。でも昨日田舎に電話をしたら、あの子私を知らないっていうのよ。

    これは田舎を出て都会に働きに来ている農民工「农民工」(nóng mín gōng)の母親の一般的な状況です。

    农民工」は中国全体で2億人いるとも言われています。

    农民工」の大部分は、田舎で農家を続けるより、たとえ不利な状況下でも都会で働く方がよい収入になるので、夫婦で街に出てくることした人々です。

    こうした夫婦の子供たちは、親とではなく祖父母と実家で暮らすことになります。

    出稼ぎ農民工

    戸籍問題

    その一つの原因は戸籍の問題です。一般的に戸籍が農村にある人々を「农民」(nóng mín)、都市にある人を「城里人」(chéng lǐ rén)と呼びます。

    农民工」は正規の労働者ではなく、短期的な労働者ですから、「アルバイト」とも訳される「打工」(dǎ gōng)で生計を立てています。

    彼らはいつも同じ町、同じ職場で働くとは限りませんし、「跳槽」(tiào cáo)という表現が表わすように転職するのは日常茶飯事です。

    こうした「农民工」の子供たちの戸籍はもちろん田舎にあります。

    それで、もし子供たちを伴って都市に出て来ても、教育や医療関連の十分な社会保障を得る事が出来ないのです。

    住居問題

    企業が「农民工」の住まいを提供し、家族で暮らせるように取り計らっている場合、子供を連れて都市に出てくる親もいます。とはいえ、大きな工場ではなく小店舗などで働く場合、住まいが提供されることはほとんどありません。

    たとえ提供されるとしても、それは一つの部屋に数人の同僚同士が住むためのもので、家族用に提供されるものではありません。

    屋外の作業現場では簡易テントで作業期間中の数か月を暮らすので、当然単身でなければ行動できません。こうした複雑な幾つかの原因により、親と離れて実家で暮らさざるを得ない子供たちが今もたくさんいます。

    写真は6月1日の国際こどもの日「国际儿童节」(guó jì ér tóng jiéに、親と離れて実家で暮らす子供たちを励ますために、有志が開催したチャリティコンサートの模様です。

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    都会も子守は祖父母

    ところが、この問題は「农民工」だけに限ったものではありません。

    都会の子育ても祖父母が親に代わってしているのが実情です。むしろ、同居しているか、近くに住んでいる祖父母が子供を自分たちに預けて、若い夫婦が共働きするように励ますのが普通です。

    子守はステータス?

    孫が生まれるのは祖父母にとってうれしいことですが、その世話を親に代わってしているという事自体がステータスになっているのです。

    ある実例では、子供が3歳になるまではどうしても自分の手で育てたいという若い母親に、

    「なぜ自分に孫を預けて育てさせてくれないのか、近所の人の手前、自分が恥ずかしい思いをしてたまらない」

    と姑が号泣して要求することまで起きています。

    甘やかしの原因に

    残念ながら、こうした祖父母が往々にして一人っ子を甘やかす原因になっています。

    ある父親が悪いことをした子供を叱ろうとしたところ、逆切れした子供が祖父に電話をかけて父親を叱ってもらおうとした、という例もあります。

    zǔ fù mǔ de nì ài shì jiào yù ér tóng fāng miàn zuì cháng jiàn de shè huì wèn tí zhī yī。

    祖父母 的 溺 爱 是 教 育 儿 童 方 面 最 常 见 的 社 会 问 题 之 一。

    祖父母の溺愛は子供の教育に関して最もよく見られる社会問題の一つである。

    また、学校の寄宿制度も子供たちが実家を離れて暮らす理由の一つです。

    多くの学生は中学生の頃から寄宿生活を始めます。学校と実家の距離がそれほど遠くないなら月に一度ほど帰宅しますが、遠ければ学校が長期休暇に入った時にようやく家に帰れます。

    こうした子供たちにとって実家という認識は薄いかもしれません。家族という単位で普段一緒に暮らせない人々が、年に一度春節に実家に帰り、家族のきずなを確認する、それが春節の大移動の一つの理由なのかもしれません。

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