諸葛孔明、この名前を知らない方は少ないでしょう。その名を世界に知らしめた蜀の国の大軍師ですが、この諸葛孔明にまつわる中国語はたくさん存在しています。今回は、その諸葛孔明にかかわる中国語を紹介します。
歴史と人物から学ぶ中国語-諸葛孔明
諸葛孔明について
諸葛孔明(西暦181年 – 234)は、中国の三国時代の蜀国の政治家・軍師・散文家・書家・発明家です。字は孔明、またの名を臥竜といいます。諸葛孔明は、数々の戦に勝ち続けたことで「天才軍師」と呼ばれるようになりました。
劉備の軍師として天下三分の計を立て、赤壁の戦いでは孫権と連合して曹操を破りました。劉備が蜀を建国するとその丞相として行政にあたり、よく国を治めました。
諸葛孔明は、王の代わりに政事を執行する最高司令官の地位にあり、そこでの活躍から現代においても、政治および軍事の天才として知られています。
諸葛孔明は中国では诸葛亮 (zhū gě liàng)と呼ばれ、伝統ある中国文化の中でも「忠義」と「智者」の代表的人物。今でもたくさんの中国人から愛され、尊敬されています。
では、この諸葛孔明に関係する中国語を見ていきましょう。
諸葛孔明に関係する中国語
天下三分の計
天下三分の計(てんかさんぶんのけい)とは、強敵がいて天下全体を支配するのは難しいので、天下を三つに分けて支配するように持っていこうとする作戦のことです。
天下を曹操・孫権・劉備の3人で三分割して支配する策で、曹操への対抗策として劉備に説きました。この戦略は、魏・呉・蜀の鼎立を実現するなど、三国志において最も大局的に物事を捉えた戦略とされています。
この計略の驚くべきところは、当時弱小軍団に過ぎなかった劉備の一味に、天下統一を成し遂げる可能性があることを説いた点です。
天下三分の計は現代のあらゆるビジネスの場面でも置き換えることが可能で、マーケティング戦略として用いられることもあります。
【天下三分の計の例文】
現代中国語でも天下三分の計は頻繁に用いられ、中国語で天下三分の計のことは三分天下(sān fēn tiān xià)といいます。
quán qiú GDP, měi guó, zhōng guó hé ōu zhōu jī běn shàng sān fēn tiān xià.
全球GDP,美国、中国和欧洲基本上三分天下。
世界のGDPは、基本的に米国・中国・欧州の3つの天下に分けられます。
この例文のように三つの異なる勢力の均衡状態を三分天下という言葉を用いて表します。
zhōng měi duì zhì huì cháng qí cún zài, ér yìn dù zé huì chèn jī jué qǐ, xíng chéng “zhōng měi yìn sān fēn tiān xià” de jú miàn.
中美对峙会长期存在,而印度则会趁机崛起,形成“中美印三分天下”的局面。
中米の対立は長期にわたって存在しており、インドが台頭することで、「中米印による天下三分」の局面を形成した。
この文では、米国・中国・インドという力のある国の関係を三分天下を用いて表現しています。
三分天下は国家だけでなく、市場における企業やスポーツにおけるチームの力関係など、三つの異なる勢力関係を表すときに用いることがわかりますね。
三顧の礼
三顧の礼(さんこのれい)は、目上の人が格下の者の所に三度も出向いてお願いをすることで、中国で劉備が諸葛孔明を迎える際に三度訪ねた出来事が由来となっています。
日本語でもよく用いられる言葉ですが、中国語では三顾茅庐 (sān gù máo lú)といいます。茅庐は草ぶきの家のことで、当時諸葛孔明が住んでいたのが草ぶきの家だったことから茅庐が用いられています。
【三顾茅庐の例文】
wèi le tí gāo tóng xué men de chéng jī, xiào zhǎng sān gù máo lú qù qǐng tè jí jiào shī lái gěi wǒ men shàng kè.
为了提高同学们的成绩,校长三顾茅庐去请特级教师来给我们上课。
生徒たちの成績向上のため、校長先生が三顧の礼を尽くして特別講師を招いて指導していただきました。
zhè wèi jì shù jīng zhàn de jì shù yuán shì wǒ men sān gù máo lú cái qǐng lái de gōng chén
这位技术精湛的技术员是我们三顾茅庐才请来的功臣。
この高度な技術を持った技術者は、三顧の礼を尽くしてきていただいた功労者です。
どちらの例文からも熱心に招待して、やっとのことで来てもらったという思いが伝わってきますね。
水魚の交わり
水鱼之交 (shuǐ yú zhī jiāo)
水魚の交わりとは、魚は水がなければ生きていけないように、親しく信頼しあう間柄を意味する四字熟語です。 君主と臣下、夫婦の仲がよいことなどについても用いることができます。
「水魚の交わり」(すいぎょのまじわり)という言葉は、もともとは三国時代の武将である劉備と、彼の軍師である諸葛孔明の関係を表す言葉でした。
劉備が諸葛孔明を臣下として迎えて以降、2人の間であつい友情が育まれました。しかし古くから劉備に仕えていた関羽や張飛などの武将は、2人のあまりの親密な様子を見て不安になり異を唱えました。
その時に劉備が武将たちに諸葛孔明との関係について、「私にとっては、孔明がいることは、魚に水があるようなものだ」と説明したのです。そのためその他の武将たちも何も言えなくなってしまいました。
【水鱼之交の例文】
xiǎo wáng hé xiǎo fāng tiān tiān zài yī qǐ rú yú shuǐ zhī jiāo.
小王和小方天天在一起如鱼水之交 。
小王と小方はいつも一緒にいて水魚の交わりを結んだかのようです。
nà duì fūqī zài zhè sì shí nián jiān, yī zhí wéi chí zhe yú shuǐ zhī jiāo de guān xì.
那对夫妻在这40年间,一直维持着鱼水之交的关系。
あの夫婦は40年間にわたってずっと水魚の交わりをしてきた。
孔明の嫁選び
諸葛孔明は才能があるだけでなく、ハンサムでもありました。伝記によれば、諸葛孔明自身は「身長八尺、松や檜のような体格」でした。しかし彼が妻に選んだのは「痩せていて、黒くて、背が低くて、髪の毛が黄色い」という醜い女だったのです
才能もあり、容姿端麗な諸葛孔明がなぜ自分の妻にこの女性を選んだのでしょうか?
中国の伝統的な見解では、諸葛孔明は外見よりも才能を重視し、人の内面の美しさを大切にしていたとされており、諸葛孔明の妻は若い頃から非常に才能があり、策略に長けた女性で、諸葛孔明は結婚するずっと前からその話を聞いていたとされています。
この結婚には政治的な有利な要素が存在していたとする見方もあります。
諸葛孔明が醜い妻を娶ったことを、日本語では「孔明の嫁選び」と、中国語では孔明娶丑女(kǒng míng qǔ chǒu nǚ)といいます。
【孔明娶丑女の例文】
当時は醜い妻を娶った諸葛孔明のことを嘲笑するような声がたくさんあり、こんな心無いことを言う人たちもいました。
bù yào xiàng zhū gé kǒng míng yī yàng xuǎn zé qī zi, zhǐ qǔ dào le huáng chéng yàn de chǒu nǚ rén.
不要像诸葛孔明一样选择妻子,只娶到了黄承彦的丑女人。
黄承彦(孔明の妻の父)の醜い女としか結婚できなかった諸葛孔明のようになってはならない。
それとは変わって現代では、外見だけではなく内面をしっかり見定める諸葛孔明の判断に、肯定的な意見が多く見られるようになりました。
zhū gé liàng wèi hé yào qǔ chǒu nǚ ne?
A:诸葛亮为何要娶丑女呢?
諸葛孔明はなぜ醜い女と結婚したのですか?
yīn wèi zhū gé liàng zhù zhòng rén de nèi zài měi,
B:因为诸葛亮注重人的内在美。
諸葛孔明は外見よりも才能を重視し、人々の内面の美しさを重視したからです。
中国ではかつてないほど外見の美しさが重視されるようになっており、美に対する極端な追及が人々の心身に悪影響を与え、中には命を落とす人もいます。
現在の中国の美を追求する文化の弊害については、下記の記事をご覧ください。
外見をよくしたいと思うのは人として正常ですが、諸葛孔明のように人の内面を正しく評価できるようでありたいものですね。
上の例文でも出てきていますが、内面の美しさのことは、内在美(nèi zài měi)と表現します。
泣いて馬謖を斬る
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」とは、「大切な人であっても、決まりを破った者は厳しく処分する」という意味の言葉です。馬謖は人の名前で、この言葉は諸葛孔明と馬謖との間に生じた出来事に由来しています。
馬謖は諸葛孔明にその才能を高く買われ、重用されていました。しかし馬謖は、先陣として挑んだ「街亭の戦い」において諸葛孔明の指示に背き、蜀軍は大敗してしまいます。
諸葛孔明にとって馬謖は右腕のような存在でしたが、軍の規律を保つために馬謖を斬る、つまり斬首刑で死刑にするという厳しい処分を下したのです。この出来事が「泣いて馬謖を斬る」の由来となっています。
「泣いて馬謖を斬る」は中国語で挥泪斩马谡(huī lèi zhǎn mǎ sù)といいます。
【挥泪斩马谡の例文】
挥泪斩马谡の例文を見てみましょう。下記は中国のプロサッカーチームが重大なトラブルを起こしてしまった主力選手に対して加えた処置に関する表現です。
héng dà kāi chú lǐ hàn gěi rén yī zhǒng huī lèi zhǎn mǎ sù de gǎn jué
恒大开除李汉给人一种挥泪斩马谡的感觉。
恒大(プロサッカーチーム)が李漢を解雇したことは、泣いて馬謖を斬ったという印象を人々に与えた。
チームがやむなく有能な選手を解雇した様子が伝わってきますね。
また、こんな風に表現すると便利です。
xiàn dài bǎn de huī lèi zhǎn mǎ sù
现代版的挥泪斩马谡。
現代版の泣いて馬謖を斬る。
処罰せざるを得ない、全体の益を考えるとやむを得ない、そんなやるせない感情を表現する時には挥泪斩马谡を用いましょう。
死せる孔明生ける仲達を走らす
この言葉は、優れた人物は死んでも生前の威風を備えていて、生きている者を恐れさせるというたとえとなっています。
五丈原で魏の司馬仲達と対陣しているときに、諸葛孔明は病死してしまいました。これを聞いた魏の軍勢はここぞとばかりに追撃を開始します。
ところが蜀軍は反撃の構えをとったため、司馬仲達は孔明の死は謀略ではないかと恐れ、魏軍は退却したのです。すでに亡くなっていた諸葛孔明ですが、司馬仲達は諸葛孔明を警戒するあまり慎重になりすぎてしまったのです。
【死诸葛走生仲达の使用例】
死せる孔明生ける仲達を走らすの中国語は死诸葛走生仲达(sǐ zhū gé zǒu shēng zhòng dá)で、日常生活の中でも使用されることがあります。
nǐ bù néng fàn sǐ zhū gé zǒu shēng zhòng dá de cuò wù
你不能犯死诸葛走生仲达的错误。
死せる孔明生ける仲達を走らすの過ちを犯してはならない(慎重になりすぎて好機を逸することがあってはならないということ)。
慎重であることは大切ですが、相手を恐れるあまりチャンスを逃してしまうことがないようにしたいものですね。どんな強力なライバルでも同じ人間です。
まとめ
今回は諸葛孔明に関する中国語について紹介しました。こうしてまとめてみると、諸葛孔明由来の言葉は本当にたくさんありますね。死せる孔明に現代の私たちが走らされているといっても過言ではありません。
このように中国語の勉強を歴史のストーリーに絡めて学習していくと、楽しく学ぶことができます。諸葛孔明の生き様を思い描きながら中国語をマスターしていきましょう。