中国語の時制の秘密:「了」の使い方で表現が変わる!
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時制の感覚のない中国語
時制の感覚のない中国語ですが、動作が現在行われているのか、あるいは完了しているのか、また過去にやったことなのかなどについては区別する用法があります。
教科書には、時態とかアスペクトなどと解説されています。
中国語の動詞は日本語のように活用変化しませんから、細かいニュアンスの違いを表すためには何かの語を補って表現します。
進行している動作の場合は動詞の後ろに「着」をつける、行為の完了を示すには「了」をつけるなどですね。
いずれも過去、現在、未来のどの文章でも同じ表現で使いますから、やはり時制は関係ありません。
動詞の後ろに「了」を付けることによって、行為が完了したことを表現
さて、上述のように動詞の後ろに「了」を付けることによって、行為が完了したことを表します。
①wǒ kàn le nà běn shū
①我看了那本书。
②nà běn shū wǒ kàn le
② 那本书我看了。
(私はその本を読みました。)
ただ、①の場合だとさらに「很感动。 (hěn gǎndòng)」などと後ろに文が続くような印象を受けますから、文章を終える場合は②のように言った方が良いようです。
「完了」と言えば全部読み終えたというニュアンス
中国語は語順が変わることによってニュアンスや意味が変わることが多いので注意が必要ですね。
また、「看了」だと、読むには読みましたが読破したのか途中まで読んで止めたのか判りません。
一方、「完了」と言えば全部読み終えたというニュアンスになります。
nà běn shū wǒ kàn wán le
那本书我看完了。
(その本を読み終えました。)
「没有看」や「有看」という過去形の表現
「了」にしても「完了」にしても、行為の完了を表すだけで過去形というわけではありません。
また、「没有看」という表現がある以上「有看」という表現があってもよいのでしょうね。
①nà běn shū wǒ yǒu kàn
①那本书我有看。
② nà běn shū wǒ kàn guò
② 那本书我看过。
(その本は読みました。)
「有看」だと「看过」と同様に経験を表すニュアンスになります。
ただし、「有看」は「看了」に対応しているわけですから、あくまでやり終えた事に言及しているだけです。
対して「看过」は、過去の経験を語っています。
「有看」は確かに読みましたと確認しています。「看过」の場合「読んだことがある」という過去のいつかに読んだ経験があるだけで、内容を覚えているかどうかは関係ないようです。
ところで、上記の疑問文の例では「その本を読みましたか?」という日本語訳をつけています。
しかし、実際に「看了吗?」と質問する人は、相手が読んでいるのだろうなと期待しています。
「読みましたよね?」というニュアンスに近いかもしれません。
相手が~だろうという意識の表現
これに対し「看吗?」と聞いている場合は、「相手は読んでいないのだろう」という意識の方が強いようです。
nà běn shū nǐ kàn le ma
那本书你看了吗?
(あの本を読みましたよね?)
nà běn shū nǐ kàn ma
那本书你看吗?
(あの本は読みましたか?)
xīn de guīzé nǐ zhīdao le ma
新的规则你知道了吗?
(新しいルールはご存知ですか?)
xīn de guīzé nǐ zhīdao ma
新的规则你知道吗?
(新しいルールをご存知ですよね?)
これは「動詞+了」の肯定文が完了表現であるだけに、会話の中ではお互いに既に知っている事柄について使用されることに関係があるようです。
これもまた、わずかな違いでニュアンスが結構変わる例ですね。
中国語の「時態」は理屈は簡単でわかりやすいのですが、いざ使うとなるとなかなか難しいものです。
でも、使いこなせれば表現の幅がぐっと広がりますね。少しずつ覚えていきましょう。